戦地へ行く息子と母親が最後に離れで二人で過ごした結果・・・・・・・

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※このエロ話は約 2 分で読めます。

投稿者:エリコ さん(女性・50代)

タイトル:【近親相姦】戦地に行く息子と愛し合った母親

私の亡き祖父には10歳年上の姉の明子さんという人がいて、戦争で夫と長男を亡くしています。

祖父には姉の他に血の繋がらない18歳年下の養子の弟がいて、高校卒業後に明子さんの家の養子になり、後を継いでいます。

昨年の春に、明子さんの末娘の貴子さんが祖父の命日に私の実家にやってきました。
その時に私が貴子さんから聞いた、亡き明子さんの秘密の話です。

明子さんは16歳でお嫁に行き、17歳のときに長男の幸太郎さんを産みました。
その後、10年間で3人の女の子を産んでいた中、戦争がはじまりました。

明子さんの夫は戦争に行き直ぐに病気で亡くなりました。
そして、戦争が続いた昭和20年に入り長男の幸太郎さんに赤紙が来て戦地に行くことになりました。

戦地に行く日が決まり、その一週間前から、母の明子さんと幸太郎さんは、敷地内にある離れで二人で家族から離れ二人だけで過ごしていました。

末娘でまだ10歳だった貴子さんはまだ甘えたい盛で、兄に母親をとられた気持ちになり悲しく悔しくなりました。

母親と兄が二人だけで生活し始めて4日目、耐えられなくなった貴子さんは離れを覗きました。
すると、布団の上で裸の母親と兄が抱き合っていました。

「幸太郎にお嫁さんみつけてあげられなくてごめんなさい」
「人生の最後に母さんと愛し合えて嬉しいよ」
「必ず生きて帰ってきてね」

貴子さんは母親と兄が裸で抱き合う姿を見て怖くなりました。
そして、離れには二度と近づきませんでした。

兄が戦地へ行く日に母は泣きながら見送っていました。
貴子さんは複雑な気持ちでした。

それからしばらくして、母親が体調不良になり、実家に帰りました。
貴子さんは母親に会いたかったけど、帰って来るまで我慢しろと言われました。

それから直ぐに、兄が戦死した知らせが来ました。
数ヶ月して母親が帰ってきました。
母親はかなりやつれていました。

その後、貴子さんが大人になりお嫁に行って数年後、貴子さんの実家に母親の実家から養子をとることになりました。
養子の名前はサトシさんで、亡くなった兄にそっくりでした。

後日、祖父母がサトシさんが母親と亡き兄の子供だと話しているのを聞きました。

戦争中、戦地へ行き、女性を知らずに死んでしまうかもしれない息子の相手を母親がすることはあり、子供が出来ることも有ったらしいです。

白い巨塔で知られる小説家の山崎豊子も戦争中、年の離れた末の子供は長男の子供である例があると書いてました。

戦争が有ったことで起きた事柄です。
サトシさんは、事実を知らされていません。

 

管理人の戯言(‘ω’)
ご投稿ありがとうございます<m(__)m>
戦争の影響って恐ろしいですね。。

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