C学2年の二学期は、C3の先輩の束縛からも解き放たれ、学校行事でもクラブ活動でも中心になっていくのです。
そして、その最初のイベントが9月末、週末の3日間で学校祭を行うのです。
1日目が体育祭、2,3日目が文化祭です。
体育祭は男子と女子が急接近する運動会。
夏休みの出会いを逃した男子が女子を急接近できる機会なのです。
女子のブルマ姿・・・・今思えば、あれほど露出度のあるブルマが日常生活の中にあった昭和。
ブルマの脇からハミパンする女子もおり、それを夜の友にする思春期真っ只中の中学男子。
五輪で女性選手の競技姿が問題なる現代とは、比較にならないほど緩かったC学時代でした。
私の話に戻せば、夏休みにボイン先生にセックスを指南され、濃厚な肉体関係までに発展しましたが、二学期が始まるとパッタリとボイン先生とエッチができくなりました。
学校行事、週末はサッカーの試合などがあったからです。童貞を喪失した音楽室でボイン先生と再びエッチしたい衝動に駆られますが、なかなかそういう機会が訪れることはなかったのです。
私は毎晩、ボイン先生とのことを思い出しながら、一人慰める行為をするしかなかったのです。
でも、そんな悶々とした日々に光を射してくれたのが、体育教師の”きよみちゃん”でした。
きよみちゃんは、体育祭の担当で、私は実行委員でした。
週2,3回だったと思いますが、実行員会が開催され、体育祭が近づけば、ほぼ連日、体育教師”きよみちゃん”のジャージ姿に浮かぶ、パンティラインを拝めたからです。
ボイン先生に悪いと思いながらも、”きよみちゃん”で自慰行為をする回数が増えてきたのも事実です。
体育教師のきよみちゃんこと清美先生は、当時、27歳。
ポロシャツとジャージ姿。
ボイン先生ほどの爆乳ではありませんが、ブラジャーの柄がポロシャツに浮き出るほどの巨乳。
締まった腰回りに大きなお尻。
体育祭で使用する器具の確認や実際の予行演習を何度も繰り返して行います。
その指示をするのが清美先生。
私は体育器具の確認よりも清美先生の大きなお尻に浮かぶパンティラインのチェックに精を出して
いました。
フルバック、ハイレグパンティ。
パンティを構成するサイド、足ぐり、クロッチのラインがジャージに浮かぶのです。
清美先生に興奮してしまう姿勢、ポーズがあります。
一つは、しゃがんで体育器具のチェックをしているときに、清美先生は脚を開いて、大胆にもお股を晒しているのです。
スカートだったらそれこそパンティ丸見えの状態ですが、ジャージだからでしょうか、警戒感が薄れてしまい、無防備な姿を晒してしまうのでしょうか。
もう一つは、パンティライン。
特に前かがみになって、私の方にお尻を突き出すポーズをしたときは、紺のジャージにくっきりとパンティラインが浮かび上がった時は、もう、目が離すできず、女子から”先生のお尻ばかり見て、エッチー”と言われる始末。
顔を赤くして”はっ”とした清美先生の表情は、今でも脳裏に焼き付いています。
体育祭は、全校生徒を赤白青黄の4チームに分けて競い合います。
私は赤組で体育教師の”きよみちゃん”も赤組の担当先生でした。
徒競走、リレー、棒高跳び、騎馬戦などなど、よくある競技の他に、男女の距離を縮めるフォークダンス。
でも、キャタピラ競争、ムカデ競争は、私にとっては大興奮する競技でした。
キャタピラ競争は、2人1組で段ボールで作ったキャタピラの中に四つん這いになり、赤ちゃんがハイハイするように前に進むのです。
女子とペアを組み、女子が前になるので、後ろの男子は女子のブルマをまじまじと見ることができるのです。
男子にとっては超ラッキーです。
アンカーは、各組の先生とペアを組むのですが、私はラッキーなことに清美先生とのペアでした。ダンポールのキャタピラの中でアンカーの順番を待っているときから、私の目の前には清美先生の大きなお尻、そして、ジャージに浮かぶパンティラインが浮き出ているのです。
私はお尻の穴であろう位置に視線を合わせ、じっと見ているのです。
清美先生は時より後ろ向きながら、私の視線を気にしているようで、何度目かの時に、”じっとみないのぉ”と小声で注意してきました。
そんな注意聞くはずもありません。
スタートラインで移動する際に、清美先生のお尻のお肉の動きにも興奮してしまいます。
そして、確か2番手で入ってきた赤組。
私と清美先生はスタートします。
リズムよく動く清美先生のお尻。。
周りの歓声など耳に入らず、清美先生のお尻に視線を集中させ、ひたすら手足を動かすのです。
そして、何度が勢い余って清美先生のお尻に私の顔が激突します。
「あん・・・・ちょっとぉ・・」
その度に甘くて可愛らしい声を漏らす清美先生。
段ボールのキャタピラの中は周囲とは隔離された別世界に興奮します。
その清美先生のお尻への激突もあって、最下位でゴールとなりました。
「○○くん!・・・・・・・」
清美先生は、ダンポールのキャタピラから透かさず出て、顔を真っ赤にさせ、恥かしそうに私の名前を呼ぶのですが、その後の言葉が続かなかったのです。
その光景は今でもはっきりと覚えています。
そして、ムカデ競争です。
これも男女が交互に並び、前の人の脇から手を入れ、肩を掴むので男女は身体の前後が密着します。
特に女子はブルマ姿なので男子の股間が密着します。
今では信じられない光景です。
これにも参加した私と清美先生。
私の前には清美先生。
さっきのキャタピラ競争の事もあり、恥ずかしそうにする先生ですが、準備の声がかかると私は身体は清美先生の背中に密着します。
さらに次の掛け声で、私の股間は清美先生のお尻にあたり、勃起したイチモツは大きなお尻に埋もれるのです。
「あ…あん・・・○○くんッ!」
小声で漏れる清美先生の甘い吐息。
いつもフレンドリーで、体育の授業の時は、(女子の噂では)厳格な教師の”きよみちゃん”。
「一二・・・一二」
掛声とともにスタートし、校庭に記されたコースを1周します。
あちこちで掛声と悲鳴が上がります。赤組は順調に進みます。
上下に動く清美先生のお尻に挟まれた私のイチモツ。
ジャージの繊維越しですが、揺れるお尻のお肉の振動がイチモツに伝わってきます。
ムカデ列の最後尾の私は、前に連れて進むだけでなく、後ろからも押し出すように進みます。
おかげで清美先生のお尻にグイグイとイチモツが食い込みます。
「○○君・・・そんなに押しちゃぁ・・・ダメぇぇ!!」
そんなことを清美先生が言ったかどうかは、覚えていませんが、声が若干エロく聞こえた事を覚えています。
そうは言いながらも私のやばい状況になっていました。
清美先生のお尻に食い込んだ私のイチモツへの刺激。
清美先生のパンティラインを見た時から思っていたお尻へ願望。
それが叶った瞬間でしたが、もう我慢の限界でした。
不覚にも私はムカデ競争の終盤でパンツの中に射精してしまったのです。
清美先生も異変を気づいたようでしたが、私はゴールに入った瞬間、脚の縄を解いて、一目散にトイレに掛け込んだ記憶があります。
パンツだけでなく、体操着の短パンにも染みが出来ていました。
もしかしたら、清美先生のジャージにも・・・・と思いました。
当然ながら、着替えなどはありませんから、トイレットぺーパで拭くだけ拭いて校庭に戻った記憶があります。
一方の清美先生はどうなったか、その場を離れてしまった私にはわかりませんが、体育祭の後半、清美先生が違うジャージをはいていたことを覚えています。
一瞬”やべぇー”と思った私でしたが、私自身の短パンの前の染みが出来ていたところに埃と砂で汚れが付着しており、その汚れが妙に変で友達に揶揄わられた記憶があります。
体育祭でのボインの純子先生は、体育祭の進行を担当しており、放送でその美声を響かせていました。
ただ、借り物競争に参加した時のお題が”先生”と書かれていたので、その時だけは”きよみちゃん”ではなく、放送席いたボイン先生の腕を掴み、一緒にゴールまで走りました。
大きな胸、ボインをユサユサさせながら入るボイン先生には圧巻でした。
ボイン先生とは学校祭の代休の日に、あの「第ニ○○荘」の純子先生のアパートに行きます。
アパートの和室の敷かれた布団の上で騎乗位で繋がる私とボイン先生。
体育祭のときの借り物競争を再現するかのように激しくボインを揺らし、久しぶりのセックスを堪能します。
一方の体育教師の清美先生。学校祭の1週間後の土曜日の放課後、体育祭、文化祭の実行委員会が開催され、様々な報告がされました。
実行委員会の後、教室を出る私を引き留める清美先生。
私は一旦教室に戻り、帰り支度して、清美先生の言われた通り、その場所に向かいしました。
私が通っていた公立中学校は、1学年のクラスが6~8クラスあるマンモス校でした。
開校当時の4階建の鉄筋コンクリートの校舎だけでは足りず、中庭にプレハブ校舎を建てて生徒
を受け入れていました。
体育祭の実行委員会の総括会議の後、体育教師・きよみちゃんこと清美先生に呼ばれたのです。
私は一度教室に戻り、帰り支度をして、清美先生が待つ、1年8組のプレハブ校舎の教室に行ったのです。
1年8組は清美先生が担任をしているのです。
私は”きよみちゃんとセックスができる”という期待と体育祭の競技中でのエッチな行為を叱られる”という不安がありました。
清美先生は、女子の間では、厳しい先生と言われており、そもそも”きよみちゃん”(男子が多い)と呼ばれることにも、ナメられていると嫌悪感を抱いていました。
でも、当然ながら、私は、前者の期待の方が大きかったのです。
すでに、ボイン先生こと、純子先生に”童貞”を捧げ、さらにセックス指南までされた私は、清美先生の前では、初心な童貞を演出すると決めていました。
本校舎から渡り廊下を通り、3クラスあるプレハブ校舎の1年8組の教室へ向います。
私は教室に入ると目を疑いました。
いえ、その姿に見惚れてしまったのです。
教室にいたのは確かに清美先生でした。
でも、いつものジャージ姿ではなく、半袖の白のブラウスに膝上のグレーのタイトスカートでした。
私は清美先生に導かれ、教壇の前に置いてあった椅子に座らせられました。
清美先生は、にこやかなの裏に眼光炯炯の表情を見せているのです。
「まだ、持っているんでしょ、出しなさい」
清美先生は、私の正面にしゃがみます。
清美先生のタイトスカートの裾はズレ上がり、太腿が露出するのです。
私の視線は一転に集中し、凝視します。
「写真クラブの○○君にも話して、ネガも含めて処分してもらったんだから」
清美先生は、スカートのデルタ(又は三角)地帯を抑えていた両手を私の太腿に手を置くのです。その際にスカートのデルタ(又は三角)地帯から、白のパンティが見えたのです。
超ラッキーな光景。
私は咄嗟に脳裏に焼き付けました。
私は何のことかと惚ける仕草をしました。惚ける私に業を煮やした清美先生は、両脚の太腿は徐々に開いていきます。
ますます、私は清美先生のお股、パンチラから目を離すことが出来なくなります。
当然ながら、私の股間は硬くなり、学生ズボンを隆起させてしまうのです。
こんな間近で先生の無防備なパンチラを拝めるのは、小学校の担任だった先生のパンチラ以来。
私の視線に気付いたのか、清美先生は「はッ」と表情して、立ち上がります。
恐らく私の表情は崩れていたかもしれません。
体育祭の時と同じように、顔を真っ赤にする清美先生でした。
体育教師の”きよみちゃん”こと、清美先生が探しているのは、体育祭の写真です。
キャタピラ競争で私が清美先生のお尻に顔を埋めた写真、ムカデ競争で私の股間と清美先生のお尻が密着した写真です。
写真クラブの友達と示し合わせたものではありませんが、こんなの撮れたぞと渡された物でした。この写真は思春期の私にとっては、自慰行為の友。
でも、清美先生はどこでどう知ったのかはわかりませんが、それを処分するように求めてくるのです。
私と清美先生の厭らしい被写体だけでなく、恥ずかしい表情、エッチな表情の清美先生が写っているからでしょうか。
清美先生のジャージに染みが付いた写真もあったのです。
その染みは私の精液そのものです。
清美先生の剣幕に負けたわけではありませんが、私はカバンから写真を取り出し、清美先生の
前に出します。
清美先生はその写真を奪おうとしますが、私は写真を持っている手を上げて、取られないようにします。
清美先生は強い口調で、写真を奪おうと私に迫ります。
思ず椅子から床へ落ちる私でしたが、清美先生は私に覆い被さりながら写真を奪おうとするのです。
揉み合い圧し合いになる私と清美先生、その時、ブラウスのボタンが外れ、胸元が開ける清美先生。
またまた顔を真っ赤にする清美先生。
教室の床に座り込む清美先生の胸チラ、パンチラの無防備な姿に私は興奮します。
私は清美先生に家にもあるから写真はこれだけではないことを言います。
初心な童貞生徒を演じ、いかに私自身が情けないダメな生徒であり、清美先生を自慰行為の対象としていることも話しました。
それを聞き、愕然としながらも受け入れるのです。
清美先生は、私のズボンの前の隆起に気が付き。見ながら言うのです。
「私のお尻に押し当ててきて・・・恥ずかしい思いをさせたのは・・・」
確かそんなことを言ったような気がします。
次の瞬間、学生ズボンの隆起を掴む清美先生。
生意気なことを言う私、でも、”まだ子供でしょ”と思っているような口調で扱き始めるのです。
急に強気になる清美先生。
大人の女性。
ボイン先生と同じように男の扱いは心得ているようです。
私は初心な童貞生徒を演じます。
「ダメ、先生・・・ダメ・・・」
確かに以前だったら、すぐに射精してしまうでしょう。
でも、ボイン先生のセックス指南を受けた私は違いました。
清美先生は、学生ズボンから、私の勃起したイチモツを取り出すと、右手で握り、上下に動かしていました。
私は先生にフェラチオを懇願します。
清美先生は、私のイチモツに顔を近づけた時、勢いよく射精したのです。
当然ながら、ワザとです。
小さな悲鳴とともに、美人である清美先生の顔は、私の精液で汚れます。
「先生、ごめんなさい」
私を恐る恐る謝ります。
でも、イチモツの勃起は治まりません。
私は畳抱えるように情けない声で、もっとして欲しいと懇願するのです。
清美先生は精液で汚れた顔のまま、私のイチモツを口に咥えるのです。
清美先生も大人の女性。経験も豊富なのか、ねっとりした唾液がイチモツに絡みつきます。
舌技も抜群でした。
私のカリの部分を小刻みに舌を動かします。
その振動で私は2度目の射精をしてしまい、清美先生の顔がさらに汚れます。
清美先生の責めに、私も冷静さを失いつつありました。
そもそもC学2年が、大人の女性を前に冷静さなど持ち合わせすことがおかしいことですが・・・。状況が状況だけに。
興奮MAXの私は欲求を抑えされず、清美先生を押し倒してしまいます。
そして、乱れたブラウスを開けさせ、ブラジャーをずらします。
現れた巨乳に貪り付く私。
清美先生は突然のことで必死に抵抗し、落ち着くように言います。
しかし、完全に冷静さを失った私は、スカート捲り上げ、パンストとパンティを剥ぎ取ったのです。
無防備に晒された清美先生の秘部。
抵抗していながらも、蛍光灯の光に反射して濡れていることがわかるのです。
「先生、入れたい、入れたい」
私はそんなことを連呼した記憶があります。
清美先生は、”それだけはダメ”というような表情します。
その時、私の脳裏にボイン先生の言葉が再生させるのです。
私はイチモツではなく、指を清美先生の秘部にあて、襞を捲りながら、クリトリスを刺激し、膣の中へ挿し込んでいくのです。
清美先生は喘ぎます。
全身から抵抗する力が抜けたようにぐったりとなります。
私はボイン先生に指南されたように、女性の一番感じるGスポットを探し当てるのです。
すると清美先生の身体は反り、自らも腰を動かせているのです。
私は人差し指と中指で清美先生のGスポットを責めます。
何度も何度も絶頂をする清美先生でした。
ぐったりし、脚を開いたまま、秘部を晒している清美先生。
私は勃起したイチモツを見せると、清美先生は頷きます。
そして、私は清美先生の中にイチモツを入れ、正常位で一体になるのです。
私の腰使い、Gスポット責めに清美先生は絶頂の繰り返すのでした。
私は、清美先生を教壇や生徒の机に手をつかせ、バックから責め立てました。
この教室の教壇に立つたびに、私とセックスしたことを思い出させるためにです。
この数時間で清美先生の態度は豹変します。
先生自ら、私のイチモツを掴み、秘部に挿入するのです。
そして、清美先生自ら腰を上下に動かすのです。
あとでわかったことですが、清美先生にとっては、久しぶりのセックスで中出しまで懇願するのでした。
次の春休みに結婚することになっていた清美先生のお相手は海外赴任中で長い間ご無沙汰だったらしいこともわかりました。
そして・・・私のGスポットの責めの虜に落ちるのです。
婚約者とのセックスでも、経験したことのないセックス・・・・・。
この日、土曜日の夕方、学校には私と清美先生の2人だけ。
私との行為が終わった後、我に返り生徒といけない行為をしてしまったという後悔の念と婚約者への裏切り。
私は清美先生を抱き締め、唇を奪います。
キスでも清美先生を蕩けさせてしまいます。
体育祭の写真は処分しても新たなコレクションは増えるのです。
私と清美先生の淫らでふしだらな行為は、この日以降もつづくことになるからです。
同じ中学校の先生2人と肉体関係になった私。
翌日、ボイン先生こと純子先生のアパートを訪れます。
清美先生を落とした自信は、ボイン先生の指南のお陰。
ボイン先生の大きな乳房に顔を埋めながら甘える私でした。
続きを読む:C学時代の先生のパンティとボイン先生の筆おろしの話・・・・・・・④
管理人の戯言(‘ω’)
ご投稿ありがとうございます<m(__)m>
とんでもねぇC学生や・・・w
※コメント番号は変動しますので、直接返信してください。
※誹謗中傷はやめましょう(随時削除させていただいてます)