C学時代の先生のパンティとボイン先生の筆おろしの話・・・・・・・②

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※このエロ話は約 10 分で読めます。

投稿者:KEN さん(男性・40代)

タイトル:C学校音楽教師・年増のボイン先生のセックス指南

前回のお話:C学時代の先生のパンティとボイン先生の筆おろしの話・・・・・・・

年上の女性、身近な学校の先生への淡い恋心?!
読者の皆様も、そのような体験されたことあるのでしょうか?

窓を開ければ、潮風の香りが漂う部屋。
ベランダからは海は見えないけれども、5分も歩けば海岸に辿り着きます。
通りから路地に入った「第ニ〇〇荘」が年増のボイン先生が暮らすアパート。
上品な目鼻立ちと洋服を着ていてもわかる豊満な胸。
有閑マダムを彷彿させる容姿からは、意外だった昭和の代表的な木造アパートで一人で暮らすボインの純子先生。

先生の部屋は2階の角部屋の2DK。
台所の他に6畳の和室が二部屋。
トイレ(和式トイレ)と浴室は別々でした。

同じ市内に暮らすボイン先生のアパートは、電車では2つ先の駅。
そこから徒歩で約10分弱。
C学2年生の夏、私はこのアパートでボインの純子先生から様々な指南を受けることになるのです。

7月の下旬からの夏休み。
サッカー部に所属する私は、新チームとして9月に開催される新人戦にむけて、練習に励むのです。
それとは別に、1学期の終業式の日に、私はボイン先生から”遊びにおいで”と先生の自宅アパートに誘われるのです。

その言葉の意味は”音楽室でのつづき”であることは、直観しました。
ボイン先生に秒殺で童貞を喪失したときから、今度エッチするときは、すぐに射精しないように、浅はかな知識を駆使してイチモツを鍛えてきました。

例えば、冷水と熱湯のシャワーを交互にあてる、カップラーメンをふやかして、上蓋に穴をあけ、女性器に見立ててオナニーをする。(爆)
今ではネットでも簡単にオナニーグッズは手に入りますが、アナログの昭和時代。
いわゆる”エロい”雑誌や友人からの怪しい情報が情報源でした。

初めてボイン先生のアパートを訪れたのは、夏休みに入って、3日目くらい。
午前中のサッカー練習を終えての午後でした。
ボイン先生は、私のために昼ご飯を作ってくれていたのです。

頭の中は100%エッチのことだけの私、出されたお昼ご飯を咽ながら流し込んだ記憶があります。
それを見て、笑いながら、落ち着くように私を諭すボイン先生でした。
でも、ボイン先生のアパートでの昼食は、この夏休みの一つの光景になりました。

ボイン先生とのエッチの事ばかりを考えていた私。
ノースリーブか八分袖のブラウス、肉付きの良い二の腕が露出し、ボイン先生には珍しくタイトな膝丈のスカートを穿いていて、崩れた正座姿で白いムチムチの生の太腿が覗いていることに気付くのです。

南側と西側に窓がある和室。
テーブルに豊かなおっぱいをのせているボイン先生。
太腿からは見えそうで見えないパンティ。

私はその姿に再び大興奮、イチモツは勃起状態全開になっていました。
しかし、ボイン先生と2人だけ。
私の勢いは緊張で消え、何もできず、固まっているだけでした。

そんな私を優しく諭すボイン先生からキスの指南を受けるのです。
ボイン先生の唇が、私の唇に触れるのです。
私にとっては、ファーストキスでもあったのです。

柔らかいボイン先生の唇。
ボイン先生は私の手を握りながら、大きな豊満な胸は私の肘に当たっていたと思います。
そして何よりも、ボイン先生の舌が私の舌と絡み合った時、私の心臓がバクバクと激しい鼓動を打ったのです。

“これがディープキスよ”

そう言ったかは定かではありませんが、その後、ボイン先生は、私の唇を奪い濃厚なキスをしてきたのです。
私も見様見真似で舌を動かしたこと覚えています。

ボイン先生の香水の香りも相まって、私の身体は熱くなり、イチモツも硬くなるのです。
ボイン先生とキスをする度に言葉と舌の使い方を指南してくれたのです。
いつも同じではダメ、その時の状況と雰囲気でキスの仕方を変えることを教えられました。

音楽担当、コーラス部の顧問の純子先生。放課後、教室から校庭へ響く美声は、私の股間を熱くさせます。サッカーの練習中にボイン先生の声が聞こえてくると、私はうっとりとしてしまい、ボイン先生とのエッチなことを妄想してしまいます。

チームメイトが蹴ってボールが身体に当たり、我に帰ることもしばしばありました。
どうしても、ボイン先生の豊満な胸に顔を埋めたいと思っていたからです。
それが現実となったのです。

ボイン先生と交わしたファーストキス。
その後、ボイン先生は、私を抱き締めると、豊満な胸に顔を埋めさせてくれたのです。
大きなマシュマロが2つ。
その柔らかなボインは、私の掌でも収まりきらず、ハミ出してしまうのです。

ボイン先生は、私の手に自分の手を添えながら、胸の揉み方を教えてくれます。
そして、ブラウスのボタンを外すのに手間取る私でしたが、ボイン先生は、優しい言葉で私の手を取り、一つ一つボタンを外していくと、大きな胸の谷間が現われ、豊満な乳を包む白のブラジャーが現れます。

ボイン先生はさっきと同じように私の手を取り、ブラジャー越しに胸を揉ませるのです。

“ブラジャーを外してごらん”

そう言われたときは、もう、鼻血モノです。
ボイン先生の背中に手を回し、ブラジャーのホックを外そうとするのですが、興奮と緊張で手が震え、上手くいきません。

“焦らないで”

優しい言葉で私を落ち着かせるボイン先生。
私はもう1度トライ。
ブラジャーが緩むと、私の目の前に色白で豊満な乳がボヨ~ンと現れ、薄い小豆色だったか?乳輪と乳首を凝視します。
もう失神モノです。

初めて見るボイン先生の生乳。
私を見つめながら、自ら豊満な胸を両手で揉み、乳首を摘まむ姿は、私に胸の触り方を実演してくれているのです。
鼻息が荒くなる私。

ボイン先生は、私の両手を握り、豊満なおっぱいへと導き、私の手に自分の手を重ねながら、豊満な胸を揉まさせるのです。
鷲掴みにした先生のボインを上下左右に動かせる私。

すでにボイン先生の手は離れているのです。
ボイン先生は、C学2年生の初心な生徒に、胸を揉まれてどうだったのでしょうか。
ただ、先生に言われ、乳首を摘まんだ時は、明らかにボイン先生の声のトーンが変わったのを覚えています。

放課後、4階の教室から校庭へ響く先生の美しい声。
そのいつもの声が、上ずったような感じになるのです。
ボイン先生の声は、さらに上ずり、甘い吐息を漏らすようになります。

ボイン先生の豊満な胸を舐めるように言われ、実行したからです。
ボイン先生は、乳首を舐めるときキスと同じ舌使いでと言います。
私の舌先がボイン先生の乳首に触れ、小刻みに舌先を動きに先生が感じて喘いでいることに気付くのです。

初めて見るボイン先生の喘ぐ姿、表情に、私は我慢の限界が来ていました。
私は立ち上がり、ズボンとパンツを一気に脱ぎ、ボイン先生の前に勃起率120%のイチモツを晒したのです。

ボイン先生は戸惑いながらも、すぐに笑顔になります。

“うん、1回、気持ち良くなろうね”

私のイチモツをボインの谷間に挟み、揉みしだくのです。
大きなマシュマロに包まれた私のイチモツは暴発寸前です。
私の呼吸は乱れていきます。

さらに、ボイン先生は、私のイチモツを口に咥えたのです。
温かい先生の口の中、濡れた舌が私のイチモツを舐めているのです。
私は驚きながらも、我慢できず、ボイン先生の口の中へ射精してしまったのです。

溜まっていたものが一気に流れ出した感覚でした。
秒殺でした。(爆)
私は呆然とするだけで、ボイン先生の口の中の精液がどうなったかは、記憶にありません。

“いっぱい出たね、スッキリしたでしょ”

そのような言葉をボイン先生が言ったような記憶があります。
“秒殺”は間逃れましたが、こんなに気持ちい良いことをしてくれるボイン先生のことが好きで堪らない存在になっていくのです。

スッキリした私を前にして、ボイン先生は、身につけているものを脱ぎ、一糸纏わぬ姿になります。
初めて見るボイン先生の全裸姿。
大きな豊満な胸、肉付きの良い身体。
私は呆然として見惚れるだけです。

ボイン先生は、私の目の前で足を開き、股間を晒すのです。
そして、ボイン先生は女性器について、実物を見せながら、女性の身体の事について話してきます。

体育教師の”きよみちゃん”が授業で行うような保健体育のようなこともです。
ボイン先生は、女性器の襞を指で捲りながら説明し、私は頷きながら、女性器から目を離さずに話を聞くのです。

そして、ボイン先生は、私の腕を掴むと、クリトリスへ導きます。
クリトリスを隠している襞に指をかけ、指先で捏ねる様にして触ることを教えてくれます。
それを実践するとボイン先生の声も上ずります。

それでもボイン先生の指南は続きます。私は言われた通り、クリトリスを摘まみ、くりくりと弄るのです。ボイン先生の表情が変わっていきます。
ボイン先生の女性器からは、少しネットリした液体が漏れ出してくるのです。

私はボイン先生の顔を見ます。
先生はニッコリ頷きながら、もっと激しくするように指示するのです。
さっきよりも女性器から漏れ出す汁の量が多くなると同時に、ボイン先生の身体がビクビクと小刻みに反応するのです。

“先生が感じてる?!”

私は直感するのです。
私のイチモツをボイン先生が弄ったように、女性器も弄れば、先生も気持ちよくなることを体感で教えてくれるのです。

そして、私はボイン先生の言われるがままに、女性器の中へ指を挿入するのです。
中指を挿し込むと中はヌルヌル漏れ出した汁の源だとわかるのです。
ボイン先生は感じながらも指示を出します。

膣壁を擦るように中指を動かします。指先から根元まで膣内を掻きまわすのです。
ボイン先生の震える美声。私の指の動きの強弱で、その美声のトーンが変わるのです。
ボイン先生は人差し指も入れるように指示します。

ボイン先生の女性器に挿入された2本指であるポイントを擦るように言うのです。
いわゆる”Gスポット”です。
当時はそんな言葉はありませんでした。
女性が一番感じる場所だとボイン先生から教えられました。

そのポイントを2本指先で交互に弄るとボイン先生の身体はさっきよりもビクビクと震え、その震えがさらに大きくなり痙攣を起こしているのです。

“そこ、そこ、そう、そこ”

今まで見たことのないボイン先生の姿。
それは普段絶対に見られない姿。
それを私の前で晒すボイン先生。
もっと、ボイン先生を乱れさせてみたい。
私は指先の動きを早く動かすとボイン先生の腰が浮き始めるのです。
漏れ出す汁の量も多くなります。

“そうよ、そうよ、そう、そう”

ボイン先生の喘ぎながら、大きく身体が反り返った後、畳に沈むように倒れ込みました。
一瞬、何が起こったかわからない私。

“先生!大丈夫?!”

思わずそう叫んだ記憶があります。
ボイン先生は乱れた呼吸を整えながら、起き上がると私を強く抱きしめます。

“○○〇くんに気持ちよくされちゃった”

確かそのようなことをボイン先生が言った記憶があります。
今時の”イク”とか”イッちゃった”とかに当てはまるのでしょう。

私はボイン先生にイチモツを入れたいと言います。
ボイン先生は頷きます。
そして、私自らボイン先生の中へイチモツを挿入するのです。

正常位での結合。
私は指でしたことをイチモツでも試してみるのです。
ボイン先生の中は、とても気持ちよくお汁がイチモツに絡みつきます。

音楽室では、すぐに暴発してしまったけど、今日はうまくいく予感がありました。
腰を動かせ、イチモツを根元まで挿し込み、腰を引いてイチモツをボイン先生の中で動かす、それを繰り返すのです。

ボイン先生は表情を崩しながらも、私に腰の動かした方を指南します。
私は言われた通りに腰の動きを調整して見るのです。
ボイン先生の表情がみるみるうちに変わっていくのです。

そんな状態でもボイン先生は、私にキスを求めてきます。
一辺倒のやり方ではダメということなのです。
そしてそのまま豊満な胸への愛撫をするように、同時多発的に女性の肉体を責めるように指南するのです。

夏の昼下がり。
和室の2つある窓は網戸。
海からの潮風を受けながら、私とボイン先生は絡み合います。

そして、ボイン先生に教わった女性の一番感じる場所を責めてみるのです。
イチモツの挿入深度を浅くして、大きく張ったイチモツのカリで擦るのです。
小刻みに腰を動かすと、ボイン先生は身体を反らせながら、今までにない大きな喘ぎ声をあげたのです。

私は確信し、集中的に”そこ”を責め続けるのです。
ボイン先生は激しく乱れ、何度も腰を浮かせます。
私も我慢の限界にきており、絶叫とともにボイン先生の中へ射精をしてしまったのです。

ボイン先生は私を抱き締めながら、耳元で”上手よ”と囁き、”こうしたらいいよ”と優しく指南してくれるのです。

2018年だったか、「C学聖日記」というTVドラマがありました。
C学校の女教師が14歳の生徒を好きになってしまうという内容。
視聴したことはありませんが、境遇はかなり異なると思いますが・・・・。

また、C学校の女教師と生徒の淫らな関係は、ドラマでの世界の話ではなく、実際の社会でも起き、ニュース報道されているのです。
網走、広島、唐津・・・・etc。
そんなことが起こるたびに、私はボイン先生とのこと思い出します。

C学2年の夏、私とボイン先生は深い深い関係になっていきます。
ボイン先生の住むところ、2つの有名な海水浴場に隣接している場所。
夏と言えば、花火大会。髪をアップにして、浴衣を着るボイン先生。

浴衣から透けるブラジャーとパンティに私は興奮。
さらにはだけた浴衣の衽から零れるボインとムチムチの太腿には興奮フルMAX。
海の沖から夜空に打ち上げられる大輪の花火よりも、ボイン先生の妖艶な浴衣姿に私自身の花火が打ち上がってしまいそうになります。

花火見物でごった返す砂浜。そんな場所でも、ボイン先生からキスを交わしてきます。
私は身体を硬直させながらも、浴衣の衽から手を入れ、純子先生のボインも揉みます。
早くしたい・・・・・

ボイン先生のアパートに戻ると、私とボイン先生は激しく絡み合います。
ボイン先生に教えられたこと、そして私自身で工夫したことを織り交ぜ、ボイン先生を激しくし責めるのです。

ボイン先生も受け身だけでなく、私の肉体を弄ぶのです。
この2回の花火大会の夜、私もボイン先生の中に大きな打ち上げ花火を打ち上げたのでした。

あの夏の出来事から、26年余り・・・・。
グーグルマップでボイン先生の住んでいた住所を検索したら、そのアパートはまだあったのです。

私は、つい先日、ボイン先生の住んでいた場所に足を運びました。
本当に驚きました。
同じ名前のアパートのまま、存在していたのです。
敷地内には入れませんが、一番奥の2階がボイン先生の部屋。

周囲の建物は当時と大きく変わってしまってしまいましたが、そのアパートだけは時間が止まったままに思えました。
アパートを眺めながら、走馬灯のようにボイン先生の事が思い浮かびます。

急にシミーズ姿のボイン先生が蘇ってきました。
確か、1日中でアパートで過ごした時だったか・・・・
今、ボインの純子先生は何をしているのか?!
急にボイン先生に会いたい心境に駆られる私でした。

 

次のお話:C学時代の先生のパンティとボイン先生の筆おろしの話・・・・・・・③

 

管理人の戯言(‘ω’)
ご投稿ありがとうございます<m(__)m>
思い出は美しいままに・・・

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