小学校時代、男も女も上半身裸で乾布摩擦をさせられてました・・・・・・・・

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学校のプールと聞くと、あの塩素の匂いを思い出す人が多いのではないでしょうか。
とくに、年代が高いほどその傾向があるような気がします。
私がイメージするものは、塩素の匂いと共に乾布摩擦です。

乾布摩擦と聞くと、冬をイメージする人が多いかもしれません。
また、ネット上の一部の趣味の方たちは例の写真集を思い浮かべた方もおられるのではないでしょうか。

私が通っていた小学校でも、その写真集に近い状態で乾布摩擦が行われていました。
ただ、写真集のあの地域やあの学校ではありません。

逆に言えば、あの写真集のあの学校だけが特別だったのではなく、日本中とまでは言わないまでも、いくつかの地域であのような実態があったということが言えてしまうのではないでしょうか。
いま思うと、あの六年間はちょうど時代の転換期だったのかもしれません。

私は、小1・小2の二年間、全校乾布摩擦を経験しました。
まず時期ですが、12月・1月・2月の冬の3ヶ月間で、毎週土曜日の一時間目です。
当時の学校は土曜日の午前中だけ授業があって、その四時間のうちの一時間が充てられていました。

実際の実施方法は、おそらく各学校によっていろいろと違う部分があると思いますが、私たちの学校では次のようにやっていました。
まず、土曜日の朝学校に行くと教室に着いた人から順に体操服に着替えます。

当時の体操服は、上半身は半袖の体操着で、下半身は女子はブルマ・男子は半ズボンでした。
冬ですから、当然寒いです。
各教室にストーブはありましたが、先生が来ないと点けてはいけない決まりだったので、我慢するしかありません。

それこそ、みんなタオルでゴシゴシとこすって少しでも温まろうとしていました。
半自主的な乾布摩擦だった訳です。
担任の先生が教室に来ると、いつものように朝の会をします。
いつもと違うのは、みんな体操服だという点です。

そして、朝の会が終わったところで男子も女子も上の体操着を脱ぎ、下着も脱いで上半身裸になります。
そして、順次グラウンドに出て学年クラス順に整列します。
このあたりは全校集会と同じです。

ただ違うのは、男女問わず全員が上半身裸であるという点です。
それともう一つ、私たちの学校では靴と靴下を脱いで、裸足になる決まりもありました。
ですから、身に付けているのは、本当にショーツとブルマの二枚だけという訳です。

さらに細かい話を言うと、ブルマには二種類あって、体育用のブルマとその下に穿く防寒用のブルマ(少しゴワゴワした生地で私たちは『紺パン』と呼んでました)がありましたが、乾布摩擦のときは紺パンを穿くのは禁止になっていました。

整列した私たちは、まず校長先生のお話を聞きます。
真面目な話ではなくて、ちょっとした小話のようなものなのですが、他の多くの学校の校長先生の話と同じとくに面白くもなく、それよりも寒いから早く終わってくれと思っていた記憶があります。

それが終わると、いよいよ乾布摩擦です。
私たちは体操の隊形に広がって準備をします。
児童会の人なのか6年生の学級委員さんなのか体育係の子なのか分かりませんが、毎週三人ずつくらいが交代で朝礼台の上に乗って見本を見せる係みたいなことをやっていた気がします。

同性として言いにくい話ですが、6年生ともなればそれなりに成長している人もいるので、子どもながらに「うわぁ」なんて思ったこともありました。
一部の男子からはやれ「あの人のおっぱいデカい」「あの人はヘコちく(陥没乳頭のこと)」だの、下らないバカ話が聞こえてくるのはしょっちゅうでした。

私自身はと言えば、小1・小2のときの出来事なので、ちょっとだけ恥ずかしいという気持ちはありましたが、そこまでの抵抗感はなかったように思います。
ただ、女の子のお胸は人に見せちゃいけない、というごく当たり前の倫理は幼心に分かっていたので、若干の嫌悪感はありました。

だいたいの準備が整うと『乾布摩擦音頭』が流れます。
本当の曲名は知りませんが、みんなそう呼んでいました。
曲中で言われる通りの動きで乾布摩擦をするのです。
ラジオ体操の乾布摩擦版のような感じです。

これで乾布摩擦自体は終わるわけですが、まだまだやることは続きます。
まずはラジオ体操です。
みなさんも小学生時代の夏休みに毎日聞いたであろうあの曲に乗せて身体を動かします。
このくらいになると寒いという感じはなくなってきます。

乾布摩擦の効果なのか、寒さで感覚が麻痺しているのか、子どもだからなのか分かりませんが。
そのあとにあるのが『禅の時間』です。
多分これは、ほかの学校ではなかなか無かったのではないかと思います。
禅の時間というのは座禅のことで、お坊さんなんかがお寺でやるアレです。

私たちはグラウンドで正座をして、目をつむって10分間動かずにジッとします。
もし動いてしまった場合は先生から竹刀でむき出しの背中を叩かれます。
その竹刀は体罰全盛期の時代に先生たちが振るっていたらしいもので、私はその世代よりはあとの世代なのですが、その時代の名残りで小学校に各教室に残っていました。

それが終わると運動の時間です。
まず『10分間縄跳び』です。
跳び方とかは自由で、とにかく10分間縄跳びをします。
(運動音痴の私はいつも普通の前飛び)

そのあと、グラウンドの半分を走ってお終いになります。
学年の数の分の周だけ走るという決まりで、1年生は1周、2年生は2周・・・6年生は6周という意味です。
これは私としては教室で授業をするよりも楽しかった思い出になっています。
もちろんそれはまだ低学年のときだったからということは言えると思いますが。

教室に戻ると先生がストーブを点けていてくれて、それが妙に嬉しかったような記憶があります。
先述した通り、私が全校乾布摩擦を経験したのは小1・小2の二年間だけです。
それは、小2の冬を最後に行事そのものが廃止されたからです。

大人になってから知ったことですが、その年は例のあの写真集が発売された年でした。
それが直接関係していたのかどうかは、今となっては分かりませんが。
全校乾布摩擦が廃止になったことを聞いても、私はこれといってとくに何も思いませんでした。
「へー」「ふーん」といった感じです。

勉強嫌いの私はどちらかと言えば、「土曜日の一時間目から授業なんて嫌だなぁ」なんて考えていました。
ただ、当時小5だった姉はかなり喜んでいた記憶があるので、やはり高学年にもなればかなり嫌なことだったんだろうと思いました。

さて、全校行事としての乾布摩擦は廃止されましたが、実は完全に乾布摩擦がなくなったという訳ではありませんでした。
私は小3に上がっても乾布摩擦をしました。
それは、冬場の通常の体育の時間に行われ、前の年までやっていたように男子も女子も上半身裸になって『乾布摩擦音頭』『ラジオ体操』と順にやって、『禅の時間』もありました。
縄跳びやランニングはその時々によって変わるという感じです。

思い起こしてみると、その冬場の体育は全部体育館でやったと思うので、やはり外部から写真を撮られたりするのを警戒していたのかもしれません。
このクラス別乾布摩擦は、普通の体育の時間にやるので、要するに担任の先生の裁量です。
言いたくないですが、小4のときの担任は男の先生でした。
いま思うと、考えたくありませんが、もしかしたら「そちらの系の趣味」を持っていたのかもという気もしないこともありません。

というのも、乾布摩擦とは関係のないことですが、その先生は宿題や提出物を忘れたり、授業中に注意したりするときに、ちょっとした罰を与えていました。
罰と言っても、ビンタみたいな本気の体罰のようなものではなく、デコピンとかシッペみたいな軽いものです

そのちょっとした罰の中に『パンツ一丁の刑』と『太ももつねりの刑』というのがありました。
二つとも名前の通りです。
パンツ一丁の刑の犠牲になるのはほとんどの場合男子なのですが、たまに女子も犠牲になります。
何をやらかしたのか理由は忘れましたが、私も一度だけその罰を受けたことがあります。

印象に残っているのは、体操の時にお手本としてみんなの前に出されたことです。
小4ともなれば自意識も発達していて、羞恥心だって幼いながらに芽生えている訳です。
まだまったく膨らんでいなかったとしても、丸出しの胸をみんなに見られるのは恥ずかしく辛い経験でした。

太ももつねりも名前のままなのですが、その摘まむ位置が、太ももの外側ではなく内側で、
股の間というのか、はっきり言ってしまうと、お股のすぐ下の部分で、ブルマとの境目のギリギリのところを摘ままれるのです。

確かにそこは肉の薄い部分でちょっと摘ままれるだけで強烈な痛みを感じる場所なので罰としては効果があるのかもしれませんが、いくらなんでもそこはちょっと、という場所でした。
このあたりを考えると、もしかしたら「そっち系の先生」だったのかも、なんて考えてしまいます。

さて、乾布摩擦はここで一旦封印されます。
私が再び乾布摩擦という言葉を聞くことになったのは小6になったときでした。
小6のプールの時間に乾布摩擦をすることになったのです。
あまり言いたくないので初めに言ってしまいますが、小6のときの担任は小4の時の例の男の先生でした。

プールの時間になるとスクール水着に着替えてプールサイドに集合します。
ちなみに、この頃からプールのときの着替えは男女別々になりました。
そういった配慮がなされる時代に変わっていっていた時期だったと言えるのかも知れません。
もっとも、このあと起こることを考えると、そうとも言えないのですが・・・

乾布摩擦用のタオルを持ってプールサイドで並ぶと、先生が「女子は腰まで水着を下ろしなさい」というようなことを言いました。
これはその場で急に言われたわけではなく、事前に分かっていたことなので、みんな渋々ですが従いました。

もちろん抵抗がない訳ではありません。
小6の女の子ともなればそろそろ子供の殻を脱皮しようかというお年頃です。
低学年のときと違って、人前で裸になるなんて絶対に嫌な訳です。
裸になったら体のコンプレックスを知られてしまいます。

自意識が芽生えると、そういう所を女の子は必ず持っています。
肌のキズ、おへその形、胸の大きさ、乳首の色や形・・・みんな程度は違えど見られたくないのです。
私も胸は全然膨らんでないくせに、乳首だけポコっと飛び出てたような変な形なのがコンプレックスでした。

それでも、誰かが水着を下ろしたのをきっかけに、嫌々ながらみんな水着を下ろし裸の上半身さらけ出しました。
最後の方まで抵抗していた子も、同調圧力というのか、連帯感的なものというのか、そろそろ空気読めよ的な感じになって、全員が水着を腰まで下ろしたのです。

おそらく私たちは、低学年のときに上級生たちがやっていた姿を見ていたので、ある程度抵抗しつつも最後には受け入れられたのかもしれません。
先生は全員が上半身裸になったことを確認すると、『乾布摩擦音頭』を流しました。
みんなにとっては4年ぶりくらいの曲です。
懐かしい曲が流れ出したことで、多少恥ずかしがりながらもみんな乾布摩擦をし始めました。

条件反射というのか、音楽が流れると身体が動いてしまうという感じです。
身体に染みついているのかもしれません。
プールサイドでは、プールを挟んで男女が離れて並んでいたことも、抵抗感が和らいだ一因かもしれません。
とは言っても女子の方から男子の裸は見えるので、男子の方からも普通に見えていたと思いますが、多少でも距離が開いていたことは抵抗感を減らしていたように思います。

しばらく続けると、ハイになってくるというのか、みんなニコニコして乾布摩擦をしていたような印象が残っています。
恥ずかしいという気持ちがなくなったわけではないですが、かなり少なくなって、それよりも楽しんでいる様子です。
私自身にも、その時間は恥ずかしかったけど楽しかった記憶もあります。

夏休みが終わって二学期が始まると、担任が代わっていました。
どうやら乾布摩擦の一件が問題となったようでした。
実際の当事者である私たちとしては、嫌な気持ちは当然ありつつも、全体としては楽しんでいたような気もします。
もちろん、嫌で嫌で仕方なかった子も中にはいたとは思いますが。

親たちにも事前にプリントを配布していましたし、各自家からタオルを持ってきたのですから、大半の保護者は理解をしていたはずです。
ただ、もしかしたら親たちの中には水着姿で乾布摩擦をするだけだと思っていて、まさか上半身裸になるとは思っていなかったという人もいたかもしれません。

いま考えるとやはり当時でも常識的ではなかったと思いますし、正直言って担任が単なるロリコン野郎だったのではないかという疑念はぬぐえません。
思い返してみると、例えば私たちのクラスだけ掃除の時間に体操服に着替えなければならない決まりがありました(当時の女子の体操服は当然ブルマです)

そのときは「服が汚れるから」という理由に納得していましたが、ロリコン野郎だったとなれば、それはそういう目的だったのでしょう。
また、体育の時間には、授業の最初に『5分間ブリッジ』の時間が設けられていました。

「基礎体力向上のため」みたいなことを言っていましたが、これもその方面の目的があったのではと疑ってしまいます。
なにしろ、プールの授業でもスクール水着で『5分間ブリッジ』はやらされましたから。

決してすべてが悪い先生だったとは思いたくはありませんが、思い起こすとあれもこれもと疑う点が出てきてしまうのも事実です。
それに、もし時代がちょっと違ったら隠し撮りの映像がネット流出なんて事態になっていたかもしれません。
そう思うと、本当にギリギリの時代でした。

でも、もしかしたら写真の一枚や二枚くらい撮られていたのかも・・・

 

管理人の戯言(´・ω・`)
貴重なお話をご投稿いただき、誠にありがとうございました<(_ _)>
今でも資料写真とかで調べたら結構出てきますよね。。。


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